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2012/04/03
田中正郎の生物学講座 神戸名物トコジラミ(南京虫)その1

神戸では昭和にはいると中国や東南アジアとの貿易が盛んになり、船員や輸入品についてトコジラミがはいってきた。トコジラミに初めて吸血されるとあとが大きく腫れて、あっちこっちにほろせが残り大騒動になるが2、3日すると腫れも治まり、その後は免疫ができて平気で仕事をしていた。当時はノミや蚊やトコジラミぐらいでは苦情を言う人もいなかった様である。しかし、田舎から出てきた店員さんや女中さんが大変であった。夜中にトコジラミのために寝られず、電気をつけて血を吸ったトコジラミを見つけると、びっくりしで田舎に逃げて帰ることも度々あったようである。神戸名物トコジラミと大評判になり、皆神戸に来るのを嫌がったが、そのうち横浜、大阪、東京の下町にも広がった。いろいろとトコジラミ退治の道具や方法が考案されたが、さっぱり効果はなかった。当時殺虫剤と言えば除虫菊のビレトリンを白灯油に溶かした、アースとかフマキラーやインビレスであったがトコジラミには全然効かなかった。

 昭和12年頃神戸の薬剤師の中居伝次郎さんが、インドネシアからデリス根を輸入しピンデンと言う名でトコジラミの特効薬として売り出した。これはなかなか効果がありトコジラミだんだんに減り、その後米軍の空襲により神戸は焼け野原となりさすがのトコジラミも全滅した。しかし、終戦後引揚者や復員兵が帰ってくるとトコジラミやシラミがついてきて全国的に広がった。シラミは発疹チフスのベクター(運搬者)としてDDTの粉末で徹底的に駆除されたが、トコジラミは衛生害虫(伝染病を媒介する青虫)でないというので駆除の対象にならず、またDDTの粉末もあまり効果がなかった。戦前効果のあったピンデンもまた売りに出されたが、これも今度は効果がなかった。戦前のピンデンは、デリス根の有効成分ロテノンが4%含まれていたが、戦後のピンデンは厚生省によりロテノンが2%におさえられていたので効果がなかったようである。昭和20年代は、まだバラックの住宅が多く、ベニヤ板はトコジラミにとって住み心地がよいらしく大繁殖した。

 昭和30年頃から商店街やアパート・寮などで集団でトコジラミ退治が行われるようになった。トコジラミに効く殺虫剤をいろいろと研究したところDDT5%の油剤とリンデン10%乳化剤がよく効くことがわかった。ある日、トコジラミ駆除の指導をしていると中華料理の牡丹園の王社長に呼ばれて、「あなた達は、南京虫、南京虫と中国の特産品のように言うが、今の中国にも南京にもこの虫はいない。神戸にたくさんいるのなら神戸虫と呼びなさい」と言われた。神戸大学農学部の奥谷先生に相談すると、「害虫に国名や地名を着けて呼ぶのは世界的に問題になっている。南京虫は、日本の学名でトコジラミというので、これからはトコジラミで通しましょう」と指導を受けた。

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